私の母はこの3年位で、脳に出来た腫瘍をきっかけにして
急速に健康状態が悪化していた。今年の5月には腫瘍が再発して、
寝たきりで食事も出来ない状態になってしまった。
点滴のみで生かされているので、医師からはあまり長くは無い旨は聞かされていた。
ここの所会いに行く度に弱っていくような印象を受けていたので、
正直な所、私が東京に行く2か月持たないのではないかとは思っていた。
妻には時々施設に入っている母の様子を見に行くように頼んでいたところ、
日曜日の夕方になって報告の電話が入った。見に行ったところ呼吸が荒くなっていて、
他にもいろいろ心配な兆候が見られるという。一番の問題は血圧が下がっている
事だという。妻に聞くと、率直にもう長くは無いと言う。
妻は介護の仕事をしていて、末期を迎えた人たちを沢山見てきた事もあって、
かなり的確な判断が出来る。
施設からは血圧をあげる薬を投与するかどうか聞かれているという。
妻はもうこれ以上母を苦しい状態にさせておくべきでないと言った。
施設に入所する際に、万一何かあった場合に延命措置を希望するか否かを
問われて、希望しない旨は伝えていた。そして今問われている昇圧剤の投与というのが
その延命措置なのだ。兄弟とも相談して昇圧剤は使わないことにした。
それから2時間ほどたった夜8時過ぎ、再び妻から電話。施設から連絡があり
かなり容態が悪化しているので、今から施設に行くという。私もすぐに行く事にするが、
何しろ東京からなので時間がかかる。先ほど断った昇圧剤を投与してもらうよう頼む。
私が到着するまで待ってもらう為だ。もうそういう段階なのだ。
埼玉にいる2番目の弟の車で母のいる施設に向かう。施設に着いたのが夜2時過ぎだった。
母は酸素マスクを着けられ荒く息をしていた。意識は無い。看護師に頼んで
昇圧剤の点滴を止めてもらった。5時を過ぎると段々呼吸が弱くなってきた。
つらい3年間だったろうと思うが、最期はそんなに苦しまなかったろうか。
急いで葬儀の手配をする。水曜に兄弟だけで葬儀を行う事にしたので、
一旦東京に戻り火曜日の授業には出席する事とする。